動物愛護条例をめぐって・その後

動物愛護条例をめぐって・その後

2022年カレンダーのこの欄では、長崎県における動物愛護条例制定の動きについて触れましたが、県とほぼ並行して独自に動物愛護条例制定を検討してきた長崎市において、2022年7月1日、ひとあし早く「長崎市動物の愛護及び管理に関する条例」(2022年3月23日条例第4号、以下「条例」)が施行されました。

27条からなるこの条例の主眼のひとつは、ねこの外飼いやノラねこへの不適切な餌やりによる生活環境被害が社会問題となっている現在の状況に対して、「外飼いや不適切な餌やりをやめさせよう」とするものであると考えてよいように思います。条例を紹介する長崎市のホームページ冒頭の文章からも、それは透けて見えます。

 近年、犬猫等のペットは生活に癒しをもたらすとともに、家族の一員としてより深い関わりを持つようになってきました。

 その一方で、飼育放棄や遺棄、虐待、身近なものとして、動物の放し飼いや飼い主のいない猫に対する無責任な餌やり行為などによるふん尿被害で近隣に迷惑をかける事例が後を絶ちません。

 このような現状を踏まえ、長崎市では、人と動物が共生する社会を推進するため、「長崎市動物の愛護及び管理に関する条例」を制定しました。

では、この条例で、具体的にどのような規定が設けられたのか、次に見ていきたいと思います。

条例におけるねこ関連の規定

条例では、第10条において「猫の飼い主の遵守事項」が、続く第11条において「飼い主のいない動物に給餌等を行う者の遵守事項」が、さらに第12条において「地域猫活動に係る支援」が、それぞれ規定されています。このなかで特に注目したいのは、やはり第11条です。

(飼い主のいない動物に給餌等を行う者の遵守事項)

第11条 飼い主のいない動物に給餌又は給水(以下「給餌等」という。)を行う者は、周辺の生活環境に支障が生じるような給餌等を行つてはならない。

2 飼い主のいない猫に給餌等を行う者は、給餌等を行うことができる猫、給餌等の方法その他の市長が別に定める基準を遵守しなければならない。

つまるところ「でたらめな餌やりは禁止! ノラねこに餌をやるなら、市長が定めた基準を守らなければダメですよ」ということになります。

なお、この第11条の規定に関しては「行つてはならない」「遵守しなければならない」とされていますが、仮にこれに違反したとしても、直接的な罰則(たとえば罰金など)が課されることはありません。しかしながら、第14条において次のような規定がなされている点には注意が必要です。

(指導又は助言)

第14条 市長は、飼い主、飼い主のいない動物に給餌等を行う者等に対し、動物の健康若しくは安全を保持し、又は動物による人の生命、身体若しくは財産に対する侵害若しくは 生活環境の保全上の支障を防止するため、必要な指導又は助言をすることができる。

(略)

3 市長は、動物の飼養、保管又は給餌等に起因した騒音又は悪臭の発生、 動物の毛の飛散、多数の昆虫の発生等によって周辺地域の生活環境が損なわれている事態が生じていると認める場合は、当該事態を生じさせている者に対し、必要な指導又は助言をすることができる。

4 市長は、あらかじめ指定した職員に前3項の規定による指導又は助言をさせるものとする。

(以下略)

これは要するに、「ノラねこに餌やりをすることで、周辺の生活環境が悪化しているような場合には、動物愛護管理センターの職員から『指導・助言』が行なえるようになっていますよ」という意味です。そして、その「指導・助言」にあたってのガイドラインとなるものが、第11条第2項で言及されている「基準」―「飼い主のいない猫への給餌等に関する基準」です。条例と同時に別途制定されたこの「基準」のなかで示されている「守るべき餌やりルール」は、次のようなものです。

(遵守事項)

第3条 給餌者の遵守事項は次のとおりとする。

(1) 給餌者は、給餌場所の存する自治会及び周辺住民に給餌等の目的、方法を説明し、理解を得るよう努めること。

(2) 給餌者が給餌等を行う猫は次に掲げるものとする。

ア 不妊去勢手術を受けたもの

イ 不妊去勢手術を受けさせる予定のもの

ウ 適正な飼育環境の下に置くため、保護又は譲渡することを予定しているもの

(3) 給餌等の方法は次のとおりとする。

ア 給餌等を行う時間を決めて行うこと。

イ 給餌場所は、給餌者の自宅又は給餌者が正当な権原に基づき給餌等を行う場所であって、周辺住民に迷惑のかからない適切な場所とすること。

ウ 餌は、猫が食べきれるだけの量を容器に入れて与えること。

エ 置き餌はしないこと。

オ 給餌等の後は、使用した容器を速やかに回収し、食べ残しがある場合は処理すること。

(4) ふん尿等を次のとおり適切に処理すること。

ア ふん尿、毛その他の汚物は適切に処理し、腐敗及び飛散を防止すること。

イ 猫が排せつする環境を整え、排せつ物を除去し、適切に処理すること。

地域ねこ活動をサポートしてきた立場からすると、遵守すべきとされるこれらの事項に「おかしな点」はありません。外にいるねこさんたちにごはんをあげるのであれば、こうしたルールをきちんと守らければ、最終的に自分とねこたちの首を絞めることにつながってしまう。餌やりしきれないほどねこが増えてしまうか、周囲からの圧力が高まって自由に餌やりなどできなくなってしまうか、周辺住民の怒りの矛先がねこに向かうか、どれかになります。

「でたらめな餌やりは禁止! ノラねこに餌をやるなら、市長が定めた基準を守らなければダメですよ」「ノラねこに餌やりをすることで、周辺の生活環境が悪化しているような場合には、動物愛護管理センターの職員から『指導・助言』が行なえるようになっていますよ」という基本姿勢に加えて、第12条では市が地域ねこ活動の支援に努めることも規定されています。

(地域猫活動に係る支援)

第12条 本市は、地域における市民等と飼い主のいない猫の共生に配慮した取組みを促進するため、地域猫活動(同活動に関係する地域の市民等の十分な理解を得て、市民等が飼い主のいない猫に対して不妊去勢手術を施し、給餌、給水、排せつ物の処理等の管理を行うことをいう。)を支援するよう努めるものとする。

「いい餌やりさんになってくださいね、市もサポートしますから」というふうに読み取るべきこれらの規定に対して、実際にはどのようなことが起きているのか。まだ条例施行からそれほど日にちは経っていませんが、条例本来の趣旨とは異なるベクトルの話ばかりが聞こえてくるのが実情です。いくつかの例をご紹介します。

条例がもたらしたもの

ひとつめは、第11条第1項を拡大解釈して「すべての餌やりは、迷惑だから、禁止である。餌やりするな!」と(おそらくこれまで生活環境被害に苦しめられてきた)住民たちが餌やりバッシングを行なう、というものです。実際は〈不適切な〉餌やりのみが禁止対象で、どういう餌やりならば〈適切〉なのかというガイドラインまで示されているにもかかわらず、また、〈不適切な〉餌やりに指導・助言するのは、本来市の職員であるはずなのにもかかわらず、それらをすべてすっ飛ばして、条例の存在そのものが「一部の市民が自分とは考えの異なる市民を叩くためのお墨付き」であるかのように機能してしまっているのです。

ふたつめは、〈不適切な〉やり方で餌やりをしていたひとが、〈適切な〉餌やりに変わるのではなく、餌やり自体をやめてしまう、というものです。上で触れたようなバッシングを直接受けたケースもあるでしょうし、バッシングされるかもしれない恐怖によってできなくなるケースもあるでしょうが、餌をもらえなくなったねこたちは、別の餌場を求めて、周辺へ拡散していくことになります。

みっつめは、〈適切な餌やり〉をしているひとまでが、ねこに餌やりをしているというだけで、肩身の狭い思いをせざるを得なくなっている、ということも挙げられます。「市が示している基準に則って適切な餌やりをすることで、外ねこをコントロールし、ひととねこが共生できる環境づくりに役立てようとしているのですよ」という至極まっとうな言い分が周囲に理解されない。市の条例が本来向かおうとしていたはずの方向に対して、おかしなことですが、条例ができたがために逆風が吹いてしまっているのです。

そもそも、今回の条例+基準は、決して「餌やり禁止条例」ではありません。けれども、少なからぬ市民がそのように受け止めてしまっているのが現状ですし、そうなるであろうことは、条例に対するパブリックコメントの内容からみて、施行前から既に明らかでもありました。ねこの糞尿等による生活環境被害に対してこれだけの怨嗟の声が上がる社会状況で、条件付きであっても「給餌」と「禁止」がセットになった条例を出せば、「餌やり禁止条例」と受け止められるのは必然でしょう。

もし本当に市が「いい餌やりさんになってくださいね、市もサポートしますから」と考えているのであれば、「これは『餌やり禁止条例』ではありません、『いい餌やりさんを応援する条例』『ひとと動物が共生できる環境づくりのための条例』です」と、今の何倍も何十倍も大きな声で、繰り返し広報していく必要があるはずです。そして、もしそうしないのであれば、本当は条例を定めた市自身が「餌やり禁止条例と思ってくれるなら、しめたものだ」と考えているということなのかもしれません。だとすれば、第12条(地域猫活動に係る支援)は、恐ろしく虚しいものに思えます。

条例ができたからといって、〈不適切な餌やり〉が一夜にして〈適切な餌やり〉に変わるのは難しい。当人の金銭的な問題やメンタルヘルスの問題、周囲とのこじれた人間関係などを、少しずつ解決しながら、時間をかけて進むほかはない。「いつかは変わっていくし、変えるための努力は続けていくけれども、それなりの時間は必要だ」ということが社会全体に共有されるように、わたしたちひとりひとりができることを積み重ねていかなければいけない、と思います。