動物愛護条例をめぐって
動物愛護条例をめぐって
現行の「動物の愛護及び管理に関する法律」(動愛法)では、第9条で次のように定められています。
第9条 地方公共団体は、動物の健康及び安全を保持するとともに、動物が人に迷惑を及ぼすことのないようにするため、条例で定めるところにより、動物の飼養及び保管について動物の所有者又は占有者に対する指導をすること、多数の動物の飼養及び保管に係る届出をさせることその他の必要な措置を講ずることができる。
これは、都道府県や市町村は動物の愛護および管理に関して「条例」を定めることができる、という趣旨になります。環境省の『動物愛護管理行政事務提要』の最新版(令和2年度版)によれば、2020年4月1日現在で、全国47都道府県中44都道府県、市町村では全国で104市町村に動物の愛護・管理に関する条例が制定されています。
それぞれの内容に関しては、制定時期によって傾向に違いがありますが、大きく分ければ、(1) 動愛法に謳っている「動物を愛護する気風」(第1条)を自分たちの暮らすまちにもたらそうとする「理念的な」ものと、(2) 近年注目されるようになった多頭崩壊や無制限な餌やりに個別に対応できるようにするための「実効的な」ものとに分かれます。
さて、全国47都道府県中44都道府県で条例が制定されているということは、条例が制定されていない都道府県が全国に3つだけある、ということになります。そして、そのひとつに長崎県が含まれます(あとのふたつは石川県と沖縄県)。
それだけ聞くと「長崎県は動物愛護において後進県なのか……」とやや落胆しそうにもなるのですが、そのあたりは条例の有無だけで決まる問題ではおそらくないでしょう(と思いたい)。
ただ「全国であと3つ」となると、やはり「一番最後になる前に、ちゃんと制定しておきたい――できればかたちだけではなく、実効性のあるものを」ということで、現在条例制定のための検討委員会で議論が進められつつあります。県議会において、犬猫の殺処分数が長いことワーストレベルであることが取り上げられたりもしていて、地味に「全国レベルで〈最低最悪〉だけは避けたい」という気運も出てきているようで、ここ1、2年のうちにはおそらく条例制定まで漕ぎ着けるだろうと思われます。
そして、そこでの議論において大きな焦点のひとつとなっているのが「ノラねこへの無秩序な餌やり」の問題です。
ノラねこへの餌やり規制をめぐって
そもそも、動物愛護・管理に関する行政窓口は、通常の市町村ではありません。基本的には都道府県が設置する保健所が窓口になります。政令指定市や中核市と呼ばれる大きめの市であれば、都道府県から実務を引き継いで市役所内に担当窓口が設けられますが、そうでない「ふつうの市町村」の場合、いぬねこに関する苦情相談は(本来は)管轄外です。「それはうちじゃなくて、保健所に言ってください」と市役所・町村役場の窓口では言ってもいいわけですが、実際にそういう苦情対応をするケースはおそらくほとんどないと思います。
通常は、生活環境課とか住民環境課といった部署において、「わたしの生活環境がノラねこどもによって脅かされている」というクレームに対して、現場に足を運び、その状況を確認して、可能であればノラねこに餌やりをしているひとを見つけ出し、「周囲に困っている人がいるので、餌やりはやめてください」とお願いをする、といった対応をしているはずです。所轄の保健所とも連携してあれやこれやと手を尽くす担当者もいるでしょうし、通りいっぺんで済ませて早く別の部署に異動することを密かに期待する担当者もいるでしょうが、共通する見解として「餌やりをやめてくださいとお願いするにも、自分たちにとって根拠になるような法律も条例もなにもないから、開き直られたらどうしようもなくて、困っている」ということは確かに言えると思います。
「ゴミ」を公共の場所に撒き散らせば、廃棄物処理法を根拠に対応することができます。では「ねこ餌=カリカリ」は「ゴミ」だろうか、というと、廃棄物処理法上は「ゴミ≒不要物」という解釈になるので、餌を置いたひとが「それは不要物ではない」と言い張れば、かなり面倒なことになります。
そこで、無秩序な餌やり行為に頭を悩ませる市町村担当部署からは、「条例で、餌やり行為そのものを禁止・規制したい」という考えが出てくることになります。現在検討中の長崎県の条例に関しても、そうした意見は決して小さくありません。
一方で、「餌やりそのものを禁止することは、動物愛護の観点から見て、問題があるのではないか」という意見も当然あります。特に、飼い主がペットに対する給餌・給水を怠ることは「ネグレクト=虐待」となりますから、「ペットには餌をやらなきゃいけないけれど、ノラねこには餌をやってはいけない」というダブル・スタンダードをひとつの条例に盛り込むことになれば、大きな矛盾を孕むことになると考えられます。
無秩序な餌やりに向き合う
地域ねこ活動的には、「そもそも餌やりをするんだったら、不妊化手術とセットにしなければいけない」「不妊化で個体数を減らして、確実に管理することで、生活環境はずっと改善される」というのはあたりまえなのですが、それを無秩序な餌やりをするひとに説くことが相当難しいことも実感しています。活動現場周辺に無秩序な餌やりがいて、活動を進める上での大きな障害となる事例も決してめずらしくありません。そこから考えれば、「仕事として」無秩序な餌やりに向き合わなければならない市町村の担当者が「餌やり禁止条例を〈武器〉にしたい」という気持ちも理解はできます。
理解はできますが、でもやはり「同意」はできません。人間側の都合で「ペット」になったり「ノラねこ」になったりするねこに対して、「あなたはペットだからごはんをあげましょう、あなたはノラねこだからごはんはなし」と言い切れるメンタリティを、わたしは「おそろしい」と感じます(そしておそらくこのカレンダーを買って下さったあなたもそう感じられることでしょう)。
ひとつ確かなことは、地域ねこ活動をすすめるひとにとっても、地域の環境を守ろうとする行政担当者にとっても、「無秩序な餌やり」というイレギュラーな存在に苦慮しているという点では、「同じ立場に立っている」ということです。「行政は敵」ではないし、「愛護は愛誤」でもない。
そしてもうひとつ、「無秩序な餌やり」が「敵」、でもないのではないか、と感じています。それは「依存症」なのではないか、と。「アルコール依存症」などと同じように「餌やり依存症」というのがあって、餌やりをして、ねこたちがガツガツと自分の撒いた餌を食べることで、何かが満たされるような気持ちがする。ほんとうはその餌を与えることで、糞尿が増え、生まれては死んでいく子ねこが増え、それをなんとか生き延びたガリガリのねこが増える、その惨状には目を向けず、ひたすら「自分が満たされること」を追い求める。そんな餌やりを何人も見てきました。どんなに周囲のひとびとから恨まれ、非難されても、人目を避けるように深夜・早朝に餌やりを続ける行為は、おそらく「治療やケア」が必要な「依存症」によるものなのではないかと考えています。
彼ら・彼女らが心に抱えているものと向き合い、福祉的なケアにつなげていくことが、無秩序な餌やりをなくすための最短ルートであるように思えてなりません。そして、その糸口となってくれるのは、やはり「ねこ」なのではないか、とも思います(そこまで重荷を負わせないでよ、とねこたちには怒られそうですが)。